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【MGCファイナリスト】設楽悠太選手インタビュー Vol.1

2018.11.15
写真提供:フォート・キシモト


 11月に入って、2018年度のロードシーズンがいよいよ本格化。来年9月15日に行われる東京オリンピック男女マラソン代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」出場権を懸けて行われる「MGCシリーズ」の第2ステージも、男子第2戦として12月2日に「福岡国際マラソン」が、12月9日には女子第2戦の「さいたま国際マラソン」が、それぞれ行われます。
 今回のMGCファイナリストインタビューは、設楽悠太選手(Honda)の登場です。
設楽選手は、2月の東京マラソンで、男子マラソン日本記録を16年ぶりに更新する2時間06分11秒をマーク。長く停滞していた日本男子マラソン界に、新しい風を吹き込みました。この日本記録は、10月のシカゴマラソンで、同い年の大迫傑選手(Nike)によって2時間05分50秒へと塗り替えられています。
 東京マラソンの際に右足を痛めた影響もあり、この夏は、レースから遠ざかっていた設楽選手ですが、じっくりとトレーニングを積んで、秋に入ってトラックで本格的に復帰。現在は、11月から始まるロードレースに向けて、着実に調子を上げつつあります。また、10月29日には、福岡国際マラソンに出場することが正式に発表され、このレースでの走りにも、早くも期待が集まっています。
 男子マラソン界を“目覚めさせた男”は、どんな経緯でマラソンに取り組んだのでしょうか? 10月26日、Honda陸上部の寮で、日本記録を樹立した東京マラソンを振り返っていただくとともに、独自のスタイルで取り組む調整法、ライバルとなる大迫選手への思いなどを伺いました。

◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
◎写真提供:フォート・キシモト

東京マラソン後は、ケガの治療に専念
秋シーズンからレースに復帰


―――設楽選手は、2月の東京マラソンで、2時間06分11秒の日本新記録を樹立されました。男子マラソンの日本記録は、2002年に高岡寿成選手(2時間06分16秒)がマークして以来、16年ぶりとなる更新です。あれから8カ月経ちましたが、その後の経過は? レース後、右ふくらはぎに強い痛みがあると仰っていましたが、実は、それは疲労骨折だったそうですね。
設楽:はい。マラソンの途中で足を痛めてしまって、終わってから病院で診てもらったところ、疲労骨折という診断を受けました。それから1カ月ほど身体を休めて、4月の下旬くらいから少しずつ練習を始めました。夏場の練習は、計画通りにはできませんでしたが、それでも状態は戻ってきていると思います。
―――9月末に行われた記録会に出場して5000m(13分51秒79)で本格復帰。10月20日には、日体大記録会で10000m(28分11秒55)も走りました。
設楽:試合がだいぶ空いてしまったので、雰囲気を味わいたいというか、記録にこだわらず、自分の状態が今どれくらいなのかを試すつもりで臨みました。タイムは、自分でも予想以上だったので、よかったと思います。
―――レースがこんなに空くのは久しぶりなのでは?
設楽:久々ですね。
―――その期間中はどうでしたか? 焦りはありませんでしたか? 当初は、ベルリンマラソン出場も視野に入れていたかと思うのですが。
設楽:そうですね。正月からずっと遊ぶ時間がなかったので、まあ、いい休養でした。
―――リフレッシュに使えたという感じ?
設楽:はい。友達と会ったりして。また、日本記録を更新したということで、挨拶回りとかで出かけることもあり、練習できないこと多かったんです。僕にとっては、ちょうどいい期間でしたね。
―――なるほど。もし、走れるのに、挨拶回りに時間が取られるという状態だったら、やりたい練習ができないということで、それをストレスに感じていたかもしれませんね。
設楽:そうですね。

東京マラソンのレースは「完璧」
日本記録保持者となって芽生えた自覚と責任感


―――東京マラソンのレース自体を振り返っていただきましょう。レース前の目標は?
設楽:「このタイムで走りたい」というのは全くなくて、とりあえず勝つことしか考えていなかったので、タイムよりも勝負にこだわっていました。
―――レース前には、いろいろな場面で、目標タイムを聞かれたり、ボードに書いたりすることが求められていました。
設楽:そうですね。あんまり書きたくなかったのですが…。
―――レースは、考えていた通りに展開できた?
設楽:もう完璧でしたね。天候も、寒くも、暑くもなかったし、風もなかったし。ペースのほうも、ペースメーカーもしっかり仕事をしてくれたので…。それまでのマラソンとは、全く違うマラソンでした。
―――マラソンは3回目。初マラソンは、1年前の東京マラソンだったわけですよね。そこと比較しても違っていた?
設楽:初マラソンのときは、本当に何も考えずに“当たって砕けろ”みたいな感じ。後半のことは何も考えずに、前半から行けるところまで行こうという気持ちで前を追っていました。それも経験になりました。今回の東京マラソンでは、本当に「我慢、我慢」という思いで30kmを走っていて、そこからペースが上がったのですが、無理につく必要はないと思っていましたし、僕自身もまだ行けるという気持ちがありました。それが結果にも、大きくつながったと思いましたね。
―――精神的にも、ゆとりのあった状態だったのでしょうか?
設楽:気持ちの部分では、全く違いましたね。
―――その一方で、実は、右足に強い痛みを抱えていたわけですよね。10kmくらいで痛みが出たということでしたが、どんな気持ちだったのですか? 走りに影響は?
設楽:いやあ、地獄でしたね。「ここで(痛みが)来るか」と思いました。やめたくなかったといったら嘘になりますが、でも、日本記録を楽しみにしてくれていたファンの皆さんや家族のことが頭に浮かんだのと、それと、やってきた練習を思うと、僕自身も「ここでやめたらもったいない」と思っていたので、本当にもう「走れなくなってもいいや」くらいの気持ちで、行けるところまで行こうという思いでずっと走っていました。
―――30kmでペースが上がったところでいったん上位争いから離れて、その後、追いついていったわけですが、そこは苦しかったからというのではなく、冷静に判断してのことだった?
設楽:はい。あのときはきつかったから離れたのではなく、(ペースが)急激に上がったので、無理してつく必要はないと思っていました。ちょうど(先頭と距離が)離れたところ(32km)で家族の応援があったので、「ここはもう行くしかないな」と。残りはもう何も考えずに、前をずっと追っていきました。
―――意識としてはペース云々というよりは前に行くという?
設楽:ペース自体は何も考えていなかったですね。まあ、前から何人か落ちてきて、姿が大きくなってきたので、それを1人1人拾っていきました。それがいい目安になったというか、走りにつながったと思います。
―――新記録誕生なるかどうかということで、終盤は、沿道の応援もすごかった。
設楽:すごかったですね、今年は。
―――それも頑張る力になった?
設楽:そうですね。走っている本人は本当に苦しいので。周りの応援がなかったら、こんな記録も出せなかったと思います。沿道で応援してくださった皆さんに本当に感謝しています。また、チームメイトも来てくれていて、ポイントごとに応援してくれました。それも本当に僕にとって大きな力になりました。
―――男子マラソンでの日本記録樹立という、ご自分の成し遂げたことのすごさは、ゴールした直後よりも、あとから実感が湧いてきたような感じだったのでしょうか?
設楽:足を痛めていたこともあって、ゴール直後は本当にもうつらくて、何も考える余裕がありませんでしたが、控室に戻って携帯電話を確認したら、いろいろな方から連絡が来ていて、そこから実感が湧いてきましたね。達成感というか、「頑張ってきてよかったな」ということを一番感じました。
―――日本記録保持者となって、何か変わりましたか?
設楽:生活面はすごく変わりました。プライベートでも、街に出れば声をかけてくださる人がたくさん増えて、周りから見られているのだということを自覚しました。1つ1つの行動をしっかり責任をもってやらなくちゃいけないな、ということを一番感じましたね。

「マラソン練習に答えはない」
独自のスタイルをつくる


―――設楽選手の場合、トラックでも世界選手権(2015年北京)やオリンピック(2016年リオデジャネイロ)に出場した実績をお持ちです。そのなかでどうしてマラソンをやることに? 世界選手権やオリンピックを経験したことがきっかけになっているのですか?
設楽:そういわれたら、そうなのかもしれないですが、僕自身、マラソンはやってみたいという気持ちは前からありましたし、適性があるかどうかは走ってみなきゃわからなかったので、最初は、「まず、やってみようかな」という感じで挑戦しました。
―――それは、いつくらいから考えていたのでしょう?
設楽:社会人になってからですね。
―――学生のころは考えたことはなかったのですか?
設楽:考える余裕がなかったです。大学時代は本当に、箱根駅伝優勝を目標に生活していたので。マラソンを走りたいという思いは全くなかったです。
―――では、当時、将来的にトラックで世界に出ていくというようなイメージは?
設楽:正直、僕自身が日本代表になれるとは思っていなかったので…。それでも、東洋大学の監督である酒井俊幸さんは、「お前は絶対に日本代表になれる」ということを言い続けてくださっていました。酒井さんに指導していただいたおかげで、僕もここまで成長できたなというのはありますね。
―――そして、社会人3年目に、2017年東京マラソンで、マラソン初挑戦。序盤から速いペースで入り、ハーフは1時間01分55秒で通過するという果敢なレースを展開しました。終盤でペースを落としてしまったものの、初マラソンながらサブテンを達成する2時間09分27秒で11位という結果でした。このときは、走り終えて、どんな感想を持ちましたか?
設楽:長いなというのと、1人で前を追う難しさを感じました。
―――あのときは、単独で走る展開になってしまいましたから。
設楽:はい。周りに誰かいれば、もう少し行けたのかもしれないけれど、それもまた勝負。これがマラソンの難しさだということを実感しました。
―――初マラソン前には、2回ほどペースメーカーでマラソンに出場しています。マラソンの雰囲気というのはそこで味わうことができていた?
設楽:そうですね。マラソン前の選手の緊張感とか、そういう雰囲気は味わえていたので、初マラソンでもそんなに緊張せずに…というか、「楽しみ」という思いが一番大きかったです。
―――そして、昨年9月に、2回目のマラソンとして、ベルリンマラソンに出場しました。このレースは、どんなイメージで臨んでいたのですか?
設楽:ベルリンのときも、正直タイムにはこだわっていませんでした。世界で活躍しているトップランナーがたくさんいるなかで、僕がどれだけ行けるのかというのを試したかったんです。結果的には惨敗でしたが、それも経験の1つとして、競技にもつながってきたのかなというのはありますね。
―――このときは、1週間前にハーフマラソンのレースに出場して、1時間00分17秒の日本記録を樹立しています。設楽選手は、今、「惨敗」と仰いましたが、ベルリンマラソンも2時間09分03秒と自己記録を更新して6位という結果を出しました。
設楽:マラソンの1週間前にハーフマラソンを走るのは初めての経験でしたが、それでも全く不安なくマラソンに臨めましたね。周りからはいろいろ言われますが、これが僕の調整法。1週間前に日本記録を出しても、マラソンは絶対に走れるという自信はあり、本当に“気持ち”で持っていきました。
―――マラソン練習では、これまで、40km走が準備段階の指標の1つとされてきたこともあり、設楽選手が東京マラソン前に「40km走はやらない」と話したことばかりが注目を集まる形となりました。否定しているわけでなく、ご自身のやり方は違うということだと思ったのですが…。
設楽:マラソンは3回挑戦していますが、3回とも全く違う調整法です。距離走は、初マラソンのときは、最高で35kmでしたが、ベルリンのときは40km走を2回取り入れています。東京マラソンに向けては、距離にこだわらずに30km走で終わっていますが、試合で身体づくりをするというやり方でマラソンを迎えました。今思うのは「マラソンの練習に答えはない」というか、本当に人それぞれなのだなということ。40km走を何本も取り入れてマラソンに挑戦する方もたくさんいますが、僕はそんなにやる必要はないと思っています。30km以降は、もう走力は関係なくて気持ち、勝つ気持ち、強い気持ちさえあればマラソンは走れると思いますね。
―――「身体づくり」で出場する試合をかなり高いレベルで走って、その試合前の練習で30km走をやっているわけですから、質的に、非常に高い取り組みだと思います。
設楽:だいたい試合の3日前には、25~30kmの距離走を入れて試合に臨む形です。去年9月のハーフマラソンで(日本)記録を出してから、試合前の調整法がそうなってきました。周りからも「よくそんなに走れるな」みたいに言われますが、それが自分に合っているというか、試合前に距離を踏んでタメをつくって試合に臨んだほうが、身体が動いてくれるので、試合前の調整法は変わらずにこれでやっていこうかなというのはありますね。
―――ある程度、自分のスタイルとして確立された感じ?
設楽:まあ、なんとなくではありますが。はい。
―――実際にマラソンを3レースやってみて、どんなところにマラソンの魅力を感じていますか?
設楽:周りからは「ただ走っているだけじゃん」と思われるかもしれませんが、本当に頭を使います。例えば、ペースメーカーはいても、1kmのペースが1秒でも変わってくると「ちょっと速いな」というのを感じますし、選手同士の駆け引きもあります。そこらへんは一番頭を使うところですね。あとは、2時間以上応援されるというのはマラソンならではのことなので、それがマラソンの一番の魅力だと思います。


(2018年10月26日収録)


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