【記録と数字で楽しむMGC】空気抵抗の影響は?
2019.09.12
9月15日(日)、男子8時50分、女子9時10分スタートで、2020東京五輪マラソンの代表を決める「MGC(Marathon Grand Championship)」が行われる。
ここでは、記録や数字を中心に、知っておくとMGCをより一層楽しく観戦できそうなデータを紹介する。
1927年のA.V.ヒル博士の研究によって、ランニングにおける空気抵抗R(kg)は、
R=0.056V^2×A
という式によって求められる。
なお、「V」は走スピード(m/s)、「A」は身体前部の投影面積で、「0.15×(身長)^2」だ。
この式によると身長175cm(1.75m)の人(投影面積0.46平方m)が無風の中で時速20kmのスピード(秒速5.56mで、マラソンなら2時間06分35秒)で走った場合、空気抵抗は約0.796kgあまりとなる。また、1970年のピュー博士の研究によると時速20kmでの空気抵抗に要する余分なエネルギー量は、5.3ml/kg・分で、これは、走行中に消費される全エネルギーの7.7%あまりになる。
時速20kmで無風の中を1人で走るランナーの空気抵抗は、先にみたヒル博士の式にあてはめると0.796kgあまり。向風2m/sの中ならば、実質的には前から7.56m/sの風を受けることになり、その空気抵抗は、1.472kgあまり。追風2m/sなら、実質的には前からの3.56m/sの風を受け、空気抵抗は0.326kgあまり。無風の時と比較すると、向風2m/sとの差は0.676kg、追風2m/sとの差は0.470kg。ということで、空気抵抗の影響は、向風が追風よりも大きいことがわかる。同じ2m/sの風でも、追風と向風ではその影響が異なる。
R=0.056V^2+A
と「Vの二乗」になっているためだ。
風力が増すにつれてその差は大きくなる。極端な例だが、追風5.56m/sの中で走る場合の空気抵抗はゼロ。一方、向風5.56m/sの中を同じスピードで走った場合は、自身の時速20kmと合わせて時速40kmのスピード(秒速11.11m)で走っているのと同じ風を受ける。その空気抵抗は、3.180kgになる計算だ。
山地啓司氏の「マラソンの科学(大修館書店。1983年)」によると、無風の中で上記と同じ時速20kmで先頭で走る場合、身体に受ける空気抵抗に要するエネルギ量は100%。一方、先頭ランナーの後方1mの位置を走る選手は、前の選手が風除けとなって空気抵抗に対するエネルギー量の約80%が軽減され、2m後ろならば約40%軽減されるという。
あくまでも机上での計算ではあるが、全エネルギー量からすると先頭の選手がマラソンを2時間06分35秒で走った場合、1m後方のランナーは、同じ全エネルギー量でマラソンを2時間02分40秒あまりで、2m後ろの選手は、2時間04分50秒で走れる計算になる。実際に2時間02分40秒や2時間04分50秒で(同じ全エネルギー量で)走るには、その1m前を2時間02分40秒で、あるいは2m前を2時間04分50秒で走って風除けになってくれる選手がいなければならないのだけれども……。
上述の向風と追風の影響の違いや、1m後方と2m後方を走る場合の例のように、マラソンの集団では、先頭ではなく集団の中を走った方が「空気抵抗による余分なエネルギー消費の節約」という点から、有利であることは間違いない。
特に大きな集団であれば、最後方が有利だ。強い追風の場合、最後方の選手は前の選手が風除けになってくれるのに加えて、背中からの後押しを受けられる。一方、先頭の選手は、自身が走るスピードの風を正面から受け、後方からの強い追風の恩恵は、後方の選手が風除けになってまったく受けられないことになる。あくまでも、「空気抵抗の軽減」という観点での話ではあるけれども……。
2017年5月に「2時間切りプロジェクト」として、現世界記録(2時間01分39秒/2018年9月16日/ベルリン)保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)がイタリアのモーターサーキットを周回する非公認コースで「1時間台」に挑戦した。
キプチョゲの当時のベストは、2時間03分05秒(2016.04.24/ロンドン)だったが、数人のペースマーカーが風除けを兼ねてキプチョゲを先導。その前にも自動車を走らせて、「空気抵抗の軽減」に念押しの配慮もした。
結果は「2時間00分25秒」で「夢の1時間台」はならなかったが、万全のお膳立てのもと、公認の自己ベストを2分40秒も上回ってみせた。先に前のランナーの「1m後方」や「2m後方」を走ることによって、空気抵抗が大幅に軽減され、2分とか4分の単位でマラソンのタイムを短縮できる可能性があることを紹介した。キプチョゲは、「机の上の計算」がかなり正しいことを、身をもって証明したといえよう。
話は少し変わるが、現在、日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトのリーダーである瀬古利彦さんは、1970年代後半からの十年あまり「世界最強ランナー」として大活躍した。その昔、当時2歳だった兵庫県在住の筆者の姪がテレビ中継を観て、「あっ、ヱスビーの瀬古や」と関西弁のイントネーションで、ブラウン管を指さしたことを覚えている。2歳の子どもにも名前のみならず所属までも覚えられるほどの国民的スター選手だった。
オリンピックの舞台でこそ、その実力を世界に示すことはできなかったが、福岡国際、東京国際、ボストン、ロンドン、シカゴなどの大きなレースで優勝し、15戦10勝。瀬古さんのレースは、基本的には集団あるいは先頭ランナーの背後にピタリと付き、最後の競技場内やロードがフィニッシュ地点のレースでは残り数百mでのカミソリスパートで、勝負を決めることが多かった。上述の「空気抵抗」ということからして、何とも理にかなった作戦だったと言えよう。なお、現在では当たり前となっている「ペースメーカー」などはいない時代だった。
瀬古さんのベスト記録は2時間08分27秒(1986年10月26日/シカゴ)で、その時点での世界歴代10位。世界最高記録(当時は、「世界記録」ではなく「世界最高記録」とされていた)は、2時間07分12秒(カルロス・ロペス/ポルトガル1985年4月20日/ロッテルダム)だった。が、瀬古さんが日本人初の「8分台」で走ったのは、83年2月13日の東京国際で2時間08分38秒。当時の世界最高は、「8分13秒」とされていたが、のちに距離不足が判明し、実質的には「8分18秒」が世界歴代1位だった。瀬古さんとの差は20秒で、2時間08分38秒は歴代3位だった。
その頃、筆者は、冒頭に紹介したような手法で、瀬古さんの「走力バランス」を分析したことがある。回帰直線から導いたマラソンの推定記録は、7分台半ば。5000mから30000mまでの各種目で最もハイレベルだった種目(10000m27分43秒44/1980年。当時の世界記録は27分22秒47で、その差は21秒あまり)のプロットに回帰直線の傾きを変えずにグラフを平行移動したところ、マラソンでは「2時間6分台の可能性もある」という結果だった(と記憶している)。常に「勝負が最優先」だった瀬古さんが、現在のようにペースメーカーがつくレースで「記録に挑戦」する機会があったならば、35年以上前に「6分台」の世界最高記録が生まれていたかもしれない。
「空気抵抗の影響」の話題から瀬古さんのことにそれてしまったが、空気抵抗がマラソンの記録に少なからず作用しているというお話であった。
では、集団の中で走るのがベストなのかというと必ずしもそうとは言い切れない。
「空気抵抗の軽減」のみを考えれば集団の中や後方は「ベター」ではあるけれども、自分のリズムで走れなかったり、前後の選手と脚が絡まっての転倒の危険性、給水の取り損ねなどのリスクもある。また、前方のペースアップに気づかず、知らないうちに取り残されてしまうということもある。あるいは、外気温が高い中でのレースでは、周りを40℃近い体温の人たちに囲まれることで、発汗による「空冷作用」が効かないということにもつながる。選手それぞれに「走りやすいポジション」があるはずで、それが精神的にも最も「いい位置」であるだろう。
またまた、話が少々それるが、
「集団の中での走る位置が一定せず、コロコロとポジションを変える選手は、あまりいい成績を残せないことが多いのでは?」
それとは反対に、
「常に一定の位置をキープして途中まであまり目立たない選手が、最後に優勝争いに絡んでくるケースも多い」
というような研究もある。そういう視点もこれまた興味深い。
応援している選手や注目している選手、あるいはそのライバル選手が、どんな位置を走っているのかに着目して観戦するのもレースの楽しみ方のひとつであろう。
以上、少々難しい統計学のことなども紹介したが、「MGC観戦」の一助になれば幸いである。
野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)
写真提供:フォート・キシモト
兼 第103 回日本陸上競技選手権大会
公式サイト:http://www.mgc42195.jp/
▶8 時50 分 男子マラソンスタート
▶9 時10 分 女子マラソンスタート
男子:TBS テレビ系列全国ネット、TBS ラジオ
女子:NHK 総合、NHK ラジオ
コース:明治神宮外苑発着(日本陸上競技連盟公認コース)
明治神宮外苑いちょう並木~四ツ谷~水道橋~神保町~神田~日本橋~浅草雷門~銀座~新橋~芝公園~日本橋~神保町~二重橋前~明治神宮外苑いちょう並木
ここでは、記録や数字を中心に、知っておくとMGCをより一層楽しく観戦できそうなデータを紹介する。
【空気抵抗の影響は?】
平均秒速が毎秒10mを超えるスピードで走る男子100m(ウサイン・ボルトが9秒58の世界記録を出した時の最高スピードは秒速12.42m)では、0コンマ数メートルの風速の違いがタイムに大きく影響することはよく知られている。1927年のA.V.ヒル博士の研究によって、ランニングにおける空気抵抗R(kg)は、
R=0.056V^2×A
という式によって求められる。
なお、「V」は走スピード(m/s)、「A」は身体前部の投影面積で、「0.15×(身長)^2」だ。
この式によると身長175cm(1.75m)の人(投影面積0.46平方m)が無風の中で時速20kmのスピード(秒速5.56mで、マラソンなら2時間06分35秒)で走った場合、空気抵抗は約0.796kgあまりとなる。また、1970年のピュー博士の研究によると時速20kmでの空気抵抗に要する余分なエネルギー量は、5.3ml/kg・分で、これは、走行中に消費される全エネルギーの7.7%あまりになる。
時速20kmで無風の中を1人で走るランナーの空気抵抗は、先にみたヒル博士の式にあてはめると0.796kgあまり。向風2m/sの中ならば、実質的には前から7.56m/sの風を受けることになり、その空気抵抗は、1.472kgあまり。追風2m/sなら、実質的には前からの3.56m/sの風を受け、空気抵抗は0.326kgあまり。無風の時と比較すると、向風2m/sとの差は0.676kg、追風2m/sとの差は0.470kg。ということで、空気抵抗の影響は、向風が追風よりも大きいことがわかる。同じ2m/sの風でも、追風と向風ではその影響が異なる。
R=0.056V^2+A
と「Vの二乗」になっているためだ。
風力が増すにつれてその差は大きくなる。極端な例だが、追風5.56m/sの中で走る場合の空気抵抗はゼロ。一方、向風5.56m/sの中を同じスピードで走った場合は、自身の時速20kmと合わせて時速40kmのスピード(秒速11.11m)で走っているのと同じ風を受ける。その空気抵抗は、3.180kgになる計算だ。
山地啓司氏の「マラソンの科学(大修館書店。1983年)」によると、無風の中で上記と同じ時速20kmで先頭で走る場合、身体に受ける空気抵抗に要するエネルギ量は100%。一方、先頭ランナーの後方1mの位置を走る選手は、前の選手が風除けとなって空気抵抗に対するエネルギー量の約80%が軽減され、2m後ろならば約40%軽減されるという。
あくまでも机上での計算ではあるが、全エネルギー量からすると先頭の選手がマラソンを2時間06分35秒で走った場合、1m後方のランナーは、同じ全エネルギー量でマラソンを2時間02分40秒あまりで、2m後ろの選手は、2時間04分50秒で走れる計算になる。実際に2時間02分40秒や2時間04分50秒で(同じ全エネルギー量で)走るには、その1m前を2時間02分40秒で、あるいは2m前を2時間04分50秒で走って風除けになってくれる選手がいなければならないのだけれども……。
上述の向風と追風の影響の違いや、1m後方と2m後方を走る場合の例のように、マラソンの集団では、先頭ではなく集団の中を走った方が「空気抵抗による余分なエネルギー消費の節約」という点から、有利であることは間違いない。
特に大きな集団であれば、最後方が有利だ。強い追風の場合、最後方の選手は前の選手が風除けになってくれるのに加えて、背中からの後押しを受けられる。一方、先頭の選手は、自身が走るスピードの風を正面から受け、後方からの強い追風の恩恵は、後方の選手が風除けになってまったく受けられないことになる。あくまでも、「空気抵抗の軽減」という観点での話ではあるけれども……。
2017年5月に「2時間切りプロジェクト」として、現世界記録(2時間01分39秒/2018年9月16日/ベルリン)保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)がイタリアのモーターサーキットを周回する非公認コースで「1時間台」に挑戦した。
キプチョゲの当時のベストは、2時間03分05秒(2016.04.24/ロンドン)だったが、数人のペースマーカーが風除けを兼ねてキプチョゲを先導。その前にも自動車を走らせて、「空気抵抗の軽減」に念押しの配慮もした。
結果は「2時間00分25秒」で「夢の1時間台」はならなかったが、万全のお膳立てのもと、公認の自己ベストを2分40秒も上回ってみせた。先に前のランナーの「1m後方」や「2m後方」を走ることによって、空気抵抗が大幅に軽減され、2分とか4分の単位でマラソンのタイムを短縮できる可能性があることを紹介した。キプチョゲは、「机の上の計算」がかなり正しいことを、身をもって証明したといえよう。
話は少し変わるが、現在、日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトのリーダーである瀬古利彦さんは、1970年代後半からの十年あまり「世界最強ランナー」として大活躍した。その昔、当時2歳だった兵庫県在住の筆者の姪がテレビ中継を観て、「あっ、ヱスビーの瀬古や」と関西弁のイントネーションで、ブラウン管を指さしたことを覚えている。2歳の子どもにも名前のみならず所属までも覚えられるほどの国民的スター選手だった。
オリンピックの舞台でこそ、その実力を世界に示すことはできなかったが、福岡国際、東京国際、ボストン、ロンドン、シカゴなどの大きなレースで優勝し、15戦10勝。瀬古さんのレースは、基本的には集団あるいは先頭ランナーの背後にピタリと付き、最後の競技場内やロードがフィニッシュ地点のレースでは残り数百mでのカミソリスパートで、勝負を決めることが多かった。上述の「空気抵抗」ということからして、何とも理にかなった作戦だったと言えよう。なお、現在では当たり前となっている「ペースメーカー」などはいない時代だった。
瀬古さんのベスト記録は2時間08分27秒(1986年10月26日/シカゴ)で、その時点での世界歴代10位。世界最高記録(当時は、「世界記録」ではなく「世界最高記録」とされていた)は、2時間07分12秒(カルロス・ロペス/ポルトガル1985年4月20日/ロッテルダム)だった。が、瀬古さんが日本人初の「8分台」で走ったのは、83年2月13日の東京国際で2時間08分38秒。当時の世界最高は、「8分13秒」とされていたが、のちに距離不足が判明し、実質的には「8分18秒」が世界歴代1位だった。瀬古さんとの差は20秒で、2時間08分38秒は歴代3位だった。
その頃、筆者は、冒頭に紹介したような手法で、瀬古さんの「走力バランス」を分析したことがある。回帰直線から導いたマラソンの推定記録は、7分台半ば。5000mから30000mまでの各種目で最もハイレベルだった種目(10000m27分43秒44/1980年。当時の世界記録は27分22秒47で、その差は21秒あまり)のプロットに回帰直線の傾きを変えずにグラフを平行移動したところ、マラソンでは「2時間6分台の可能性もある」という結果だった(と記憶している)。常に「勝負が最優先」だった瀬古さんが、現在のようにペースメーカーがつくレースで「記録に挑戦」する機会があったならば、35年以上前に「6分台」の世界最高記録が生まれていたかもしれない。
「空気抵抗の影響」の話題から瀬古さんのことにそれてしまったが、空気抵抗がマラソンの記録に少なからず作用しているというお話であった。
では、集団の中で走るのがベストなのかというと必ずしもそうとは言い切れない。
「空気抵抗の軽減」のみを考えれば集団の中や後方は「ベター」ではあるけれども、自分のリズムで走れなかったり、前後の選手と脚が絡まっての転倒の危険性、給水の取り損ねなどのリスクもある。また、前方のペースアップに気づかず、知らないうちに取り残されてしまうということもある。あるいは、外気温が高い中でのレースでは、周りを40℃近い体温の人たちに囲まれることで、発汗による「空冷作用」が効かないということにもつながる。選手それぞれに「走りやすいポジション」があるはずで、それが精神的にも最も「いい位置」であるだろう。
またまた、話が少々それるが、
「集団の中での走る位置が一定せず、コロコロとポジションを変える選手は、あまりいい成績を残せないことが多いのでは?」
それとは反対に、
「常に一定の位置をキープして途中まであまり目立たない選手が、最後に優勝争いに絡んでくるケースも多い」
というような研究もある。そういう視点もこれまた興味深い。
応援している選手や注目している選手、あるいはそのライバル選手が、どんな位置を走っているのかに着目して観戦するのもレースの楽しみ方のひとつであろう。
以上、少々難しい統計学のことなども紹介したが、「MGC観戦」の一助になれば幸いである。
野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)
写真提供:フォート・キシモト
▶マラソングランドチャンピオンシップ
兼 東京2020 オリンピック日本代表選考競技会兼 第103 回日本陸上競技選手権大会
公式サイト:http://www.mgc42195.jp/
▶8 時50 分 男子マラソンスタート
▶9 時10 分 女子マラソンスタート
男子:TBS テレビ系列全国ネット、TBS ラジオ
女子:NHK 総合、NHK ラジオ
コース:明治神宮外苑発着(日本陸上競技連盟公認コース)
明治神宮外苑いちょう並木~四ツ谷~水道橋~神保町~神田~日本橋~浅草雷門~銀座~新橋~芝公園~日本橋~神保町~二重橋前~明治神宮外苑いちょう並木