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【記録と数字で楽しむJMCシリーズ】防府読売マラソン(1)歴史と記録

2021.12.16



・文中敬称略。
・所属は当時のもの。

「JMC・第1期・第2戦」は、「第52回防府読売マラソン」が舞台


12月19日に行われる「第52回防府読売マラソン(以下、「防府マラソン」と表記)」が「JMC(ジャパンマラソンチャンピオンシップシリーズ)」の「シリーズⅠ」の「第1期・第2戦」のレースとなる。

ここでは、テレビやラジオ観戦のお供に、いくつかの視点からのデータを紹介する。

なお、テレビとラジオの生中継は、近畿・中国・四国・九州での限定放送のため、それ以外の地域ではパソコンやスマホからのラジオ中継(radiko=ラジコでの配信)でお聴きいただくことになる。

今回の招待選手7人は、自己ベストの順に以下の通り。

川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)2.07.27.=21年びわ湖10位
福田穣(NN Running Team)2.09.52.=18年ゴールドコースト3位
神野大地(セルソース)2.10.18.=18年東京18位
鈴木忠(スズキ)2.10.46.=20年防府4位
平田幸四郎(SGホールディングス)2.10.50.=21年びわ湖51位
吉村大輝(旭化成)2.11.13.=19年防府2位
熊橋弘将(山陽特殊製鋼)2.12.10.=20年東京38位


ペースメーカーは、
12月5日の「最後の福岡国際」を2時間07分51秒で制したマイケル・ギザエ(スズキ)と11月27日に10000mを27分36秒87で走ったワンブア・タイタス(埼玉医科大学グループ)の2人がつとめる。

招待選手のうち、福岡国際からの連戦は川内(福岡は12位/2時間11分33秒)、福田(17位/2時間13分34秒)だ。


「防府マラソン」の歴史など


話は少々横道にそれるが「防府」の読み方は「ほうふ」であり「ぼうふ」ではないので念のため。
「防」の漢字は、「防水」「防音」「防犯」「予防」「消防」「堤防」など、すべてが「ぼう」と読むためか、地名の「防府」も「ぼうふ」と読む人も多いようだ。

防府市は山口県中南部の瀬戸内海に面する人口11万4千人あまりの都市である。
「防府マラソン」は1970年12月27日に第1回大会が開かれた。同年10月1日の国勢調査での人口は97009人。都道府県庁所在地でもない人口10万人に満たない町で日本陸連公認のフルマラソン大会が開かれることになったのだった。

70年春時点での資料によると全国の公認マラソンコースは「74」。そのうち、都道府県庁所在地が発着点でなかったりコースに含まないものは「32」だった。

半世紀以上前のことなので、その数字が絶対に間違いないとはいいきれないが、手許の資料によると、公認コース74のうち、毎年定期的に開催されていたのは、22レース。うち、都道府県庁所在地以外のコースでのレースは、7レースだった。そんな中、70年に産声をあげた「防府マラソン」が、一度も途切れることなく今回で「第52回」を迎えるのは素晴らしいことである。

「第1回大会」は、70年12月27日の正午に防府市立右田中学校前をスタート、佐波郡徳地町下畑を折り返し点とするコースで行われた。4人の招待選手を含め57人が参加し、招待選手の上原敏彦(東洋ベアリング)が2時間15分49秒8(同年の日本4位)の好記録で初代チャンピオンとなった。

半世紀以上前に、人口10万人に満たない防府で公認マラソン大会が始まったのには理由がある。
「協和発酵陸上部」と「鐘紡陸上部」の存在だ。33年に協和発酵の前身である福島人絹・防府工場が、36年に鐘紡・防府工場が操業開始。

協和発酵では、浜村秀雄が50年代初頭からマラソンで活躍し、55年ボストンマラソン優勝のほか56年メルボルン五輪に出場(16位)した。

一方の鐘紡は50年に陸上部が創部。翌51年のアジア競技大会で田茂井宗一が1万mで優勝し、60年ローマ五輪のマラソンには貞永信義が出場(46位)している。

浜村と貞永は選手引退後、ともに自チームの監督に就任し後輩達の指導にあたった。

そんな土壌のもとに、市をあげて応援し盛り上げていくためにと、当時の防府市長が呼びかけて「防府マラソン」が誕生したのだった。

なお、防府よりも7年前に始まった宮崎の「延岡西日本マラソン」もその誕生には似たような理由がある。こちらは、延岡市を拠点とする「旭化成陸上部」の応援をきっかけに生まれた大会だ。

「防府マラソン」は、基本的には12月の第3日曜日に開催されてきている。
12月第1日曜日開催の「福岡国際マラソン」と翌年1月1日開催の「全日本実業団駅伝(通称・ニューイヤー駅伝)」に挟まれているため、2時間10分を切るようなクラスの選手の出場は少ないが、その次に位置するレベルの選手や将来のトップクラスを目指す若い選手の参加も多い。

そのため、「2時間10分切り」のレースはこれまで5大会(6人が7回)だが、「2時間15分切り」や「2時間20分切り」「2時間30分切り」のレベルの自己新記録がたくさん生まれることが多い。

コースは、1989年まで右田中学校前を発着点とし佐波川沿いを上流方向に走って折り返してくるというもの。前半が上り、後半が下りという高低差の少ない設定。苦しくなる後半が下り基調ということで、マラソンの経験が少ない選手にとっても「走りやすいコース」「記録を出しやすいコース」といわれるものだった。

90年からは、防府市陸上競技場を発着点とする市内を循環するコースに変更。その後、2011年にも一部の変更がなされ、2019年からはキリンレモンスタジアムソルトアリーナ防府(防府市スポーツセンター体育館)前県道前県道をスタートして防府市陸上競技場をフィニッシュするコースとなり現在に至っている。全体の最大高低差は10mほどで、平坦なコースである。

09年(第40回)からは「女子の部」が加わった。また、12年(第43回)までは「10kmの部」も行われていたが、13年からはフルマラソンのみとなった。

15年(第46回)から「IPC(国際パラリンピック委員会)登録の部」が加わり、今回は「第22回日本視覚障がい女子マラソン選手権」も兼ねている。こちらには、東京パラリンピックで金メダルを獲得し、2時間54分13秒の世界記録を保持する道下美里(三井住友海上)が出場予定だ。


「大会記録」と「日本人大会最高記録」


大会記録は、2時間08分16秒 ハイル・ヌグセ(エチオピア)2002年=第33回。
日本人大会最高記録は、2時間09分15秒 川内優輝(埼玉県庁)2013年=第44回2位。

それぞれの5km毎の通過記録は、
<大会記録>
5km15.30.15.30. 
10km30.38.15.08. 
15km45.46.15.08. 
20km1.00.44.14.58. 
Half1.04.06.64.06. 
25km1.15.36.14.52. 
30km1.30.37.15.01. 
35km1.45.58.15.21. 
40km2.01.42.15.44. 
Finish2.08.16.6.34.64.10.(前後半差▽0.04.)


<日本人大会最高記録>
5km15.05.15.05. 
10km30.10.15.05. 
15km45.24.15.14. 
20km1.00.33.15.09. 
Half1.03.58.63.58. 
25km1.16.02.15.29. 
30km1.31.12.15.10. 
35km1.46.48.15.36. 
40km2.02.24.15.36. 
Finish2.09.15.6.51.65.17.(前後半差▽1.19.)


2時間10分を切る「サブ10」は、これまで4大会で6人(うち日本人選手4人)が7回マークしている。以下がパフォーマンス歴代10傑だ。

【防府マラソン・パフォーマンス歴代10傑/2020年まで】
1)2.08.16.ハイル・ヌグセ(エチオピア)2002年(第33回)1位
2)2.09.00.セルオド・バトオチル(モンゴル)2013年(第44回)1位
3)2.09.15.川内優輝(埼玉県庁)2013年(第44回)2位
4)2.09.36.丸山竜也(八千代工業)2020年(第51回)1位
5)2.09.38.大崎悟史(NTT西日本)2002年(第33回)2位
6)2.09.40.渡辺共則(旭化成)1999年(第30回)1位
7)2.09.46川内2014年(第45回)1位
8)2.10.03川内2017年(第48回)1位
9)2.10.26川内2020年(第51回)2位
10)2.10.32ヌグセ2001年(第32回)1位


上記の通り、トップ10のうち川内優輝の名前が4回。防府で複数回の「サブ10」を果たした唯一の選手でもある。

なお、川内は、2011年(第42回)から連続出場を続けていて今回で11年連続となる。

優勝4回を含め、2位4回、3位1回と毎回好成績を残してきている。4回の優勝は、歴代最多である。
そして、いかにも「川内らしい」のは、上記の過去10回のうち、2週間前の「福岡国際」との連戦が9回もあることだ。14年(第45回)以外はすべて「福岡→防府」のパターンである。
なお、14年は福岡と同日の「NAHAマラソン」に出場し2時間13分43秒で優勝しているので、「中13日」での防府出場は今回で11年連続ということになる。

川内の防府と福岡のこれまでの成績は、

 防府マラソンの成績福岡国際マラソンの成績
2011年(第42回)2位 2.12.33.3位 2.09.57.
2012年(第43回)優勝 2.10.46.6位 2.10.29.
2013年(第44回)2位 2.09.15.3位 2.09.05.
2014年(第45回)優勝 2.09.46.(1位 2.13.43.=NAHAマラソン)
2015年(第46回)2位 2.12.24.8位 2.12.48.
2016年(第47回)3位 2.12.45.3位 2.09.11.
2017年(第48回)優勝 2.10.03.9位 2.10.53.
2018年(第49回)優勝 2.11.29.10位 2.12.03.
2019年(第50回)7位 2.14.17.11位 2.12.50.
2020年(第51回)2位 2.10.26.19位 2.13.59.
2021年(第52回)?? ????12位 2.11.33.
.

20年のレースでは自身ちょうど100回目の「サブ20(2時間20分切り)」で走り、ギネス世界記録に認定された。なお、18年1月1日に76回目の「サブ20」でギネス世界記録となり同年3月に認定されたが、その後も自身の記録を塗り替えて100回に到達したところで再申請したのだった。21年にも2レースで「サブ20」を達成しているので現段階では「102回」である。

なお、川内は13年には福岡と防府で連続の「サブ10」の快挙。「14日間(中13日)」での達成は、川内自身のそれまでの世界最短記録「42日間(中41日。13年2月3日の別大=2時間08分15秒 と 3月17日のソウル=2時間08分14秒)」を大幅に更新する「世界新記録」だった。また、13年には4回の「サブ10」をマークしたが、その期間は「315日」でこちらは世界歴代2位だった(トップはエチオピア選手の「260日」)。


防府マラソンの着順別最高記録

1)2.08.16.ハイル・ヌグセ(エチオピア)2002年=第33回
2)2.09.15.川内優輝(埼玉県庁)2013年=第44回
3)2.10.37.西澤佳洋(小森コーポレーション)2020年=第51回
4)2.10.46.鈴木忠(スズキ)2020年=第51回
5)2.10.48.柴田拓真(小森コーポレーション)2020年=第51回
6)2.10.57.福田穣(NNRT)2020年=第51回
7)2.11.15.畔上和弥(トヨタ自動車)2020年=第51回
8)2.11.21.原由幸(滝ケ原自衛隊)2020年=第51回
9)2.11.54.谷川智浩(コニカミノルタ)2020年=第51回
10)2.12.04.市山翼(小森コーポレーション)2020年=第51回
11)2.12.52.飛松佑輔(日置市役所)2020年=第51回
12)2.12.54.ジェームス・ギタヒ・ルンガル(中央発條)2020年=第51回
13)2.13.44.石田亮(自衛隊体育学校)2020年=第51回
14)2.13.45.森貴樹(モントブラン)2020年=第51回
15)2.13.54.橋本隆光(コモリコーポレーション)2020年=第51回
16)2.13.56.藤井祐希(トクヤマ)2020年=第51回
17)2.14.04.吉村大輝(旭化成)2020年=第51回
18)2.14.40.松尾良一(旭化成)2020年=第51回

・以上、2時間15分00秒以内

上記の通り、3着以下の最高記録はすべて前回(20年)のもの。この時の1位は2時間09分36秒(丸山竜也/八千代工業)、2位は2時間10分26秒(川内優輝/あいおいニッセイ同和損保)だった。




【記録と数字で楽しむJMCシリーズ】防府読売マラソン(2)」に続く……


野口純正(国際陸上競技統計者協会[ATFS]会員)



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・TV:12:00~14:25
・ラジオ:11:50~15:00
※radiko(ラジコ)で配信